もしもお前がこの世で一人きりの存在ならば


かつて、フランス生まれのルネ・デカルトは、自然科学や数学的思考
による省察をおこない、その結果生まれた言葉がかの有名な

「我思うゆえに我あり」

である。

すべてのもの(自分自身をも含めて)に対する疑問を投げかける。
その結果、それでも否定出来ないものは何か?
自己が思考をしている、という事象そのものである。

自分の意思ってのはなんかはよくわからないがとにかく、その思考を
しているという事実は(少なくとも俺には)ある。
つまりこれだけは「真」なのである。

では。

ありがちな妄想ではあるし、すでに古代中国でもその疑問は投げ
かけられていた。かの荘子の有名な一節「胡蝶の夢」や「枕中記」
もしくは「邯鄲の夢」あたりがその妄想に当たるのだが、

「今自分がこのようにしているのは本当の自分ではないのではないか?」

胡蝶の夢では荘子は蝶になり、優雅に空を楽しく舞っていた。
しかし実際には人間だった。さてどちらが本当の世界なのか?
(でも蝶もいろんな敵に襲われるけどなぁ…楽しくなさそう)

また邯鄲の夢では盧生という若者が1代で栄華を極める夢を見たが、
その夢はわずかに飯が炊けるほどの時間の間だったという。
(この枕売れるんなら栄華極められそうだ)

まぁそのあたり、実はこれは俺の妄想で世界は存在しないという考えは
相当昔から考えられていたわけなんだけれども。
近年だと映画「マトリックス」がそうだよな。他にもあるだろうけど。
いずれにしろ今体感してる世界は本当の世界なのか?

この胡蝶の夢なマトリックスな妄想だが、そもそもものは考えようなのである。
大体、宇宙の中では人間など非常に小さな存在なのであるが、その
小さな存在である人間がこの世界を認識、再構成しているのだ。脳内に。

逆に考えるんだ。
とにかく逆に考えるんだ。
つまるところ今私たちが認識している世界は、あくまで私の感覚器官が
受け取った情報を脳内で再構成しているに過ぎない。
そしてそれはもうひとつ、ある事実を明らかにする。

それは人間は自分の脳さえ支配できないのではないか?ということである。
いやその考えはおかしい、といわれるかもしれない。
ただちょっと考えればわかることではあるが、仮に自分の脳を完全に支配する
とするとどういうことになるだろうか?

たとえば今私の目の前には私しかいないのだが、自分の脳を完全に支配できる
ならば、自分の目の前に金だろうと美少女だろうとまぁなんでもいいけど
ありとあらゆるものを出現させられるはずだ。
でも実際には出来ない。当たり前だ。もしそんなことができてしまったらどうなる?

再度逆に考えてみよう。
仮に脳を完全に支配できて、見たくないものを消せるとしよう。
その場合、例えば突っ込んできたトラックを「視界から」消すことは出来るが
トラックは実際には存在するので吹っ飛ばされて死ぬ
完全に体を脳が支配というのは、すごくやばいことなのだ。

腹が減ってものどが渇いてもとにかく神経コントロールできるというなら
必要なエネルギーも得られないわけで死ぬ。危機回避も出来ない。
精神はそれで幸せかもしれない。だが身体はどうなる。
妄想の世界にれっつらゴーってそれはそれでいいけれど、
身体は必要なものとらないとやっぱり死ぬ。

いずれにしろ、自分の完全コントロールなんてやばすぎる。
精神世界から出て来れないとなると、その存在はあっさりと死ぬしかない
んじゃないだろうか?いやいずれはすべての生物死ぬけれど。

人間は知性を大きく進化させたという。
その進化が行き過ぎると…行き過ぎた進化の先は、滅亡なんだろうか?
今回こんなことつらつら書きながら、ひょっとしたらもうすぐそこまで
そういう精神が肉体を完全に支配する世界が来てる気がして、なぜか
とても薄ら寒く感じる。多分これも妄想だけど…。

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